秋葉原と力士の意外な関係

秋葉原と言えば

 

今は、電気街というよりもヲタクの街、もしくは萌の街とでも表現するほうがわかりやすい秋葉原駅ですが、昭和60年代までは電気の街としての印象が強いのですが、元々秋葉原駅は上野駅の貨物を扱を分離することを目的に建設されたもので元々は貨物駅であったそうです。


建設されたのは、明治23年11月1日であったそうです。

 

秋葉原と力士の意外な関係

 

現在と異なり、荷物の積み下ろしなどは当然のことながら人力だったのですが、そうした荷物の積み下ろしをしていたのが意外なことに力士でした。
元々、大相撲の起源は、両国にある回向院と言う浄土宗のお寺だそうです。
ここで1781年(天明元年)以降には、境内で勧進相撲が興行されたそうで、力士も多く出入りしていたのでしょう。

秋葉原駅の荷物の積み下ろし荷役に回向院から力士に頼んで手伝ってもらっていたそうです。
その後、この力士のアルバイトは、廃業力士や角力くずれの人たちの本業となっていったそうです。

秋葉原駅には今も秋葉原構内にがあるのか否かは知りませんが。力士たちが力自慢に使っていたという、20〜30貫(112.5kg)の力石があったと言われています。
現在はどうなっているのでしょうか、ご存じの方がおられましたら是非ご教示ください。

雨の日も風の日も、寒い日も暑い日も、荷物を肩に担いだり、背負ったりして運搬したと言われています。

秋葉原駅

昭和35年頃の秋葉原駅(画像 wikipedia)

高架部分から荷物はシューターで降ろされるようになっており、当時の様子は小学館発行の「交通」にイラストが載っており、幼稚園の頃に飽きずにその本を眺めていたものです。


実際に、昭和30年代まで国鉄の荷役と言うのは殆どが人力によるもので、トラックで運ばれてきた荷物を貨車に積替えて。再び到着駅でトラックに積み替えると言うことが行われていました。

結果的にそうした作業の積替えロスなどが発生することが嫌われて道路の整備とともに徐々に貨車による車扱い輸送は減少していくこととなりました。

ワム80000

(画像 wikipedia)

 

ただし、貨物輸送に関してはコンテナ方式の導入や、車扱いであっても、パレットに載せてリフトで積卸できるように、ワム80000形貨車が試作されるなどしました。

 

時代は変わり、貨って秋葉原が貨物駅であったことを知っている人も少なくなったかと思いますが、秋葉原で、力士が荷役の仕事をしていたとは私も知りませんでした。

 

国鉄線の記事から

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