昔の物語 隅田川駅

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今なら、ブラック企業だとか、ブラック職場だ言われそうですが,今から半世紀前のころは、こうしたことが美談となったそうです。

現在は、コンテナしか扱わない駅ですが、昭和61年10月31日までは、手小荷物輸送を扱っていました、国鉄の荷物輸送は、その前近代的な輸送方法(駅への持ち込みまたは、受け取り)が嫌われ、後発のヤマト運輸に代表される宅配便事業にその役割を奪われて縮小していくのですが、宅急便が誕生していない昭和45年頃は、小荷物輸送は国鉄に頼らざるを得ない状況であり、記事にもあるように、年末になると大変な量の荷物が運び込めれたそうです。

一日平均8万個が、年末になると16万個強と倍以上に膨れ上がり、荷役場は山盛り状態の荷物で溢れかえったと書かれています。

そこで、各職場から自発的に応援が入ったと書かれています。

少しだけ、その部分を引用させていただこうと思います。

 

同駅は設備の機械化が進んでいないため人海戦術に頼らざるを得ない状態であるが、昨年暮には東京北局の本局をはじめ電車区、磯関区、学園、賢材センターの人達が延べ約1,000名も自発的にかけつけ山積みする荷物の処理にあたった。また、職員の奥さんも登場し、茶のサービスや荷扱用手袋の洗濯をするなどの光景が見られた。これは生産性運動の影響で各現場から無報酬,自発的な応援の手が差し伸べられたと見られ、同駅では大いに感謝していた

以上、国鉄部内誌、国有鉄道 昭和46(1971)年2月号に掲載されていた記事です。

 

まぁ、応援は良いとしても、無報酬というのは今の時勢ではたちまち,ブラック職場だと言われそうですが、実際に昭和40年代というのはこんな時代であったと言えますね。

 

近代化しつつあるところと、未だ人海戦術に頼らざるを得ない職場が混在している、そんなカオスな時代であったと思います。

その反面、色々な意味でコミュニケーションが取りやすかったのではないかと思うんですね。

お互い様だから・・・みたいな。

 

しかし、その反面、反マル生運動者からみると、「マル生運動に洗脳された」と言うんでしょうね。

 

国鉄という職場は,良くも悪くも純粋な人が多い職場だったと思います、それ故に極端から極端に走りやすかったと思います。

この例などもその好例ですね。

 

 

直接関係ありませんが、上記画像は、大阪百済駅の様子,年末は特にこうした光景が各所で見ることが出来ました。